自然が教えてくれること

曇り空

昨日は用事があって大阪へ行き、そのまま電車に乗ってさらに西へ向かい

以前から行ってみたかった神戸の古墳に行ってきました。

住宅街の坂道を少し苦労しながら歩いて行くと突然こんな場所に行きつきます。

古墳

ちょっとびっくりしながら受付を済ませて入ってみたら、本当に前方後円墳でした。

住宅街のど真ん中に古墳がふたつも(お隣にもう一つあります)あるのです。

古墳の後方にマンションがあるのが見えますでしょうか。周りは完全に住宅街です。

古墳からは海が見えて明石海峡大橋も見えました。

前方には淡路島もあり、私が普段見ている琵琶湖の風景にとても良く似ていました。

そればかりでなく、この場所に着くまでの間ずっと、駅を降りた時から

「ここ知ってる!」という感覚があり、とても馴染める気配の地域でした。

(もし今の場所から引っ越さねばならなくなった時の行き先としてここも候補に入れました)

古墳以外のものは全くない、風景を眺めるしかない場所でしたので、

存分に海と空を眺めて過ごしました。

曇り空

明石海峡

TVもネットも本もない大昔の人は、こうして景色を眺める事が大切な時間だったのかもしれません。

そのようにして同じ場所を見る事で得られる情報は、今の私たちが扱っている情報とは全く違うものでしょうが、その時に生きていくうえで最も必要なものだったのではないかと思います。

今の私には写真のような空は「曇り空」としか認識できませんが、大昔の人はこの空から言語化できないようなとても重要な情報を読み取って、生き延びていたのかもしれません。

そういう情報の事を、今の私たちは「第六感」などと呼んで珍重していますが、大昔の人にとってはごく当たり前の、日常的な技術であったろうと思います。(その人たちにとっては今の私たちの日常が仰天ものでしょうね・・・)

空でも周りの景色でも、同じ場所をいつも見ていると、その時によって何かしら違うものがありますし、それが実はとても大きな事を伝えてくれようとしている可能性はあります。

今の私たちにそれが読み取れないだけで。

心を静かにして、謙虚に自分を投げ出して、自然を眺め続けていたら、大昔の人が読み取っていたその情報をほんのわずかでも読み取れるようになるでしょうか。

今はそれがとても必要なことの気がします。