河井寛次郎の器でお茶を頂いてきました

河井寛次郎のうつわ

陶工 河井寛次郎の器でお茶とお菓子を頂く体験をして来ました。

【イベント】陶工・河井寬次郎の器で楽しむお茶会 

講師の鷺珠江さんは寬次郎のお孫さんで、寛次郎の話や器の話、お茶に関する事、京都のお菓子についてなど、とても気さくなお話をされながら、寛次郎の器にささっとお茶をたててくださいました。

10の器の中から、くじびきで決まった順番に使いたい器を選ばせて頂いたのですが、不思議と「使いたいな」と思った器が自分の順番まで残っていて、二回とも使いたいと感じていた器を使わせて頂きました。

お話が楽しくて聞くのに集中していたので、あまり写真を撮らなかったのですが、写真の二回目に使わせて頂いた黒い器は油滴天目のような表情がありました。(飲んだ後の写真でごめんなさい)

お茶会の最後に、今日の全ての器の中で一番欲しいのはどれですか?と尋ねられて、私はこの黒い器を選びました。

この器は、寛次郎がデビューして大成功していた中国の陶器を手本にした作風を捨てて、最初に作ったものだという事でした。

河井寛次郎は東京高等工業学校窯業科と京都陶磁器試験所で技術をしっかりと身に着けて、作家として華々しくデビューをしました。

その後、その「成功」を一度捨てて、四年間は展覧会をする事なく、「自分の仕事」を追求して、それが今の私たちがよく知っている作品になっていったのです。

これほどの人でも、「うまく行っていた事を全て捨てて方向転換」をしていたのだと、とても共感し、感動しました。

あの大胆で自由で大らかな作品は、しっかりと身に着けた技術があってのこと。そこも深く納得しました。

大きく飛び立つには、筋肉を鍛えておく必要があるのです。発想や感性だけでは遠くまで飛んでいく事は出来ません。

寛次郎が日々淡々と、しかも楽しく、鍛錬していたのであろう事を思いました。

河井寛次郎は作品と共に言葉も多く残しています。

京都国立近代美術館で開催中の展覧会 川勝コレクション 鐘溪窯 陶工・河井寬次郎 の会場にも、その言葉が展示されていました。

その中で、私が最も打たれたのがこちらです。

川勝コレクション 鐘溪窯 陶工・河井寬次郎

「人に好かれるかどうかは知りませんが、

自分の好きなものを自分で作ってみようというのが、私の仕事です。

そういう際に表現されるぎりぎりの自分が、同時に、

他人のものだというのが自分の信念です。

ぎりぎりの我に到達した時に初めて、ぎりぎりの他にも到達します。

自他のない世界が、ほんとうの仕事の世界です」

私は大学の時に陶芸をやっていて、家族は民芸に傾倒していて、

「自分の足元を掘り下げよ、そこに普遍の大海が広がっている」と教えられてきました。

(この通りの言葉ではありませんが、デザイナーの伊藤清忠氏の言葉です)

数十年を経ても、やはりこれが真実だと改めて感じ入り、この方向で良いのだと深く安心した体験でした。

展覧会は6/2まで、京都国立近代美術館です。会場内は写真撮影OKです。(棟方志功の額は禁止でした)

河井寬次郎の器

河井寬次郎の器 河井寬次郎の器 河井寬次郎の器