うれしいはふえる、というお話です。
先だっていきなり東京へコンサートを聴くために
無理やりお勤めをお休みさせて貰ったときのこと。
半日お休みを頂いて、早退させて頂いたのですが
その日はちょうど、ちょっと大きめな動きがあった日で
(普段は静かで落ち着いていて、半休させて頂いても
それほどおおごとにならないような有難い環境なのですが)
リーダーさんとパートの私2人の勤務体制でこの状況では
途中で帰るようなことはやっぱり出来ないよな、
諦めざるを得ないかな、と思ったのです。
そうしたら、リーダーさんが仰ることには
「自分の好きな人が楽しそうにしているのは嬉しいから♪」
涙が出るほど嬉しかったです。
こんな事を言ってもらえるような仕事を自分は出来てるのかな、
喜ばれる仕事しよう。と思いました。
こんな風にして嬉しいが循環して増えていくのが
人の世界の理想なのかもしれません。
今のところ私は
自分が好きな人の幸せを喜ぶ、がせいぜいで
好きじゃない人の幸せを喜ぶ、まで行けるとたいしたものですが
まぁそれは目標ということで。
ひとの幸せは自分の幸せ。
ひとが喜んでいるのを見られるのは嬉しい♪
あの人は幸せだけど私は幸せじゃない
みたいな比較をしても、自分は幸せにはなれない。
それどころか気分が悪くなってますます不幸せになってしまう。
それより人の幸せをちゃっかりおすそ分けを頂いて
嬉しい気分になったほうがお得じゃないですか。
人の不幸は蜜の味
とかいう概念は遠き昭和の遺物。
もう要りませんね。
ひとの幸せは私の幸せ。
ひとの嬉しいを自分の嬉しいにしてしまえば
嬉しいは増えるのです。
というお話でした。