旅先で見てきた展覧会のお話です。(写真は全く関係ありません。会場の前で写真を撮り損ねましたので代わりに夏の空です)
上野でふたつ展覧会を見ました。初めに見たのは 没後50年 藤田嗣治展
混雑を覚悟して行きましたが、意外にすいていて、じっくりと観ることが出来ました。
作品が年代順に展示されていて、画家が辿った道のりを追体験しているかのようでした。
藤田嗣治の作品といえば、あの”乳白色の下地”に細い線を使って描かれた裸婦。
というのが広く認識されているところでしょうか。(あとは無類の猫好きという事も・笑)
観客の関心もそこにあるという事なのでしょうか、初期の作品のキャプションの解説にところどころ”乳白色の下地に通じる”という言葉が見られました。
それを見るたびに、少し納得のいかないものを私は感じました。
その絵を描いた時の画家には、まだ”乳白色の下地”はないのです。その絵をその時の自分で全力で描いているはず。むしろそこを解説してほしかったなぁ・・・と思ってしまいました。藤田の研究をしているわけでもないのに、厚かましい事ですが(笑)
展覧会全体を見て、画力がある、という事の凄さと、そして悲劇も感じました。
年代順に作品を展示されているので、見てゆきながら「この先にたぶん”あの絵”がある・・・また見なくてはならないのか・・・」という予感と覚悟をもって進んでいました。
あの絵とは作戦記録画、展示されていたのは「アッツ島玉砕」と「サイパン島同胞臣節を全うす」です。
ご存じない方は検索してご覧になってください。あの裸婦を描いていた人が、これを描くのか!?という衝撃があるかもしれません。
描けるが故の悲劇、と感じたのは、この二枚の絵を描けてしまったこと、そしてその後の展開です。
その時の画家がその時の全力を傾けて描いているのでしょうが、見る方は以前の絵と比べてしまって、「苦しい」と感じました。特にキリスト教に傾倒してからの作品は、見ていて辛い思いがしました。(とても個人的な感じ方ですので、他の方はそうは感じられないかもしれませんが)
晩年の作品の中で「ホッ」とさせられたのは陶器の絵付けでした。ああ、楽しんで描いているんだろうな、と感じられる”抜け感”があるのです。ほんとうは全ての作品を最後まで楽しんで描いていたのだろうとは思います。私の勝手な感じ方ですね。
作品はどれも「凄い」のですが、私が今回の展示で魅せられたのは、帰国している時に描かれた「魚河岸」です。魚河岸の若いお兄さんでしょうか、子どものような顔をしていて、キリっとした立ち姿を惚れ惚れと眺めました。
それと、短編映画「現代日本2 子供篇」もその時代の空気と画家の温かいまなざしを感じてほっとして観ました。(この映画が当時の軍部から”国辱的”という理由でお蔵入りになったという解説がされていて、私には理解不能でした。意味が分かりません。)
藤田嗣治の作品をそれほど好きでもない方にも、たぶん楽しめる展覧会だと思います。
9/13には関連イベントとしてコンサートもあります。Art meets Music (PDFが開きます)