ART、美術でも音楽でも、芸術というものは、
株をやりとりしてお金を動かしたり
大きな建物を建てたり
病気を治す薬を開発したり
といったことに比べて、
直接人の役に立たないもので
芸術に関わるということが
まるで贅沢な、あるいは無駄なもの
ととらえられる風潮があるようですが
芸術に関わる人が
そういう虚しさにとらわれそうになった時
彫刻家、佐藤忠良氏のこの言葉が効くと思います。
1984年に現代美術社が発行した美術の教科書
『少年の美術』に載っていた言葉です。
美術を学ぶ人へ
美術を学ぶ前に、私が日ごろ思っていることを、みなさんにお話します。というのは、みなさんは、自分のすることの意味‐なぜ美術を学ぶのかという意味を、きっと知りたがっているだろうと思うからです。
私が考えてほしいというのは、科学と芸術のちがいと、その関係についてです。
みなさんは、すでにいろいろなことを知っているでしょうし、まだこれからも学ぶでしょう、それらの知識は、おおむね科学と呼ばれるものです。科学というのは、だれもがそうだと認められるものです。
科学は、理科や数学のように自然科学と呼ばれるものだけではありません。歴史や地理のように社会科学と呼ばれるものもあります。
これらの科学をもとに発達した科学技術が、私たちの日常生活の環境を変えていきます。
ただ、私たちの生活は、事実を知るだけでは成り立ちません。好きだとかきらいだとか、美しいとかみにくいとか、ものに対して感ずる心があります。
これは、だれもが同じに感ずるものではありません。しかし、こういった感ずる心は、人間が生きていくのにとても大切なものです。だれもが認める知識と同じに、どうしても必要なものです。
詩や音楽や美術や演劇‐芸術は、こうした心が生みだしたものだといえましょう。
この芸術というものは、科学技術とちがって、環境を変えることはできないものです。
しかし、その環境に対する心を変えることはできるのです。詩や絵に感動した心は、環境にふりまわされるのではなく、自主的に環境に対面できるようになるのです。
ものを変えることのできないものなど、役に立たないむだなものだと思っている人もいるでしょう。
ところが、この直接役に立たないものが、心のビタミンのようなもので、しらずしらずのうちに、私たちの心のなかで蓄積されて、感ずる心を育てるのです。
人間が生きるためには、知ることが大切です。同じように、感ずることが大事です。
私は、みなさんの一人一人に、ほんとうの喜び、悲しみ、怒りがどんなものかがわかる人間になってもらいたいのです。
美術をしんけんに学んでください。しんけんに学ばないと、感ずる心は育たないのです。
『少年の美術』現代美術社刊より
めげてもまた立って、やり続けましょう。