神社などへ出かけたお話

神社

とりとめのないお話です。
昨日は京都ロームでのサロンコンサートのため京都へ出かけました。
コンサートまでに時間があったので、久しぶりに神社へ。
手水舎で偶然に手に取った柄杓が、いつもツイートを拝見している
すみれ図書室さんが奉納されているものでした。
不思議なご縁を感じました。

神社

本殿へお参りしたあと、必ず立ち寄る場所でしばらく過ごします。

神社

この流れをずっと見ていると、日ごろの積み重なった穢れが綺麗に洗い流されていくようです。

神社

神社

洗い清めて頂いて、次の場所へどう行けば良いのかな、と思いながらバス停に向かうと、
丁度その場所へ向かうバスが来ていたり、そのバスが、以前にかかわりのあった場所を次々と通ったりなど、何か不思議な体験をさせられたような心地でした。

京都ロームでのコンサートは、モーツァルトの光と影と題した演奏とトークを、間近で堪能しました。
聴きながら、モーツァルトはほんとうはどういう人だったのかと思ったりしていました。

蔦谷書店で本を見たりしているうちに、動物神の絵をまた描ける時が来たのだなと感じたり、
神様かどなたかに導いて頂いた一日でした。

特に奈良美智さんのドローイング集を見てひらめきを頂きました。
私は以前から奈良さんの作品は好きなのですが、何故好きなのかはよく分かりませんでした。
最近この方が書かれた文章をネットで読んで、ああそういう事だったのかと何となく腑に落ちたところでした。
https://www.buzzfeed.com/jp/daisukefuruta/nara?utm_source=dynamic&utm_campaign=bfsharecopy
何が「そういう事」なのかはとうてい説明できませんが、納得できたのです。

この方の作品は、印刷などで見ているだけだと、女の子を描いたお絵描きのように感じるかもしれません。
あんなのだったら自分にも出来る、などと思ってしまう人もいるかもしれません。
原画を目の前で見たり、作品に至るまでの過程を知ると、そんなものではないのだと判るのではないでしょうか。
絵を描くための訓練をきちんと積んできている人が、根底に思想を持って描いているものなのです。
他の人の作品を見て、やり方やテーマを真似して、そこに自分の味付けをちょっと加えて、
などというやり方で作られたものではありません。
自分のやり方で、自分の内側にあるものを深く掘り起こしてきたものを、肩に力を入れずに描いている。
それゆえに多くの人に伝わるものがあるのでしょう。
先日衝撃を受けた篠田桃紅さんにも通じるものを感じます。

こつこつと自分独自の土台をつくり、自分の翼で遠くまで飛ぶ。
他を真似せず、他を基準にせず、外側に自分をあてはめず。
そんな生き方を多くの人が始める時が、来ているのかもしれないと
うっすらとそう感じています。
それは今よりも生きやすい世界なのではないでしょうか。