自分の足元を掘りさげる

オリンピックのエンブレムに関するニュースで世間がにぎわっています。
件のデザイナー氏が他の人のデザインを真似してしまったのか、
自分で考えに考えて出したものが、不幸にして既に発表されている他の人のものとそっくりだったのか。

デザインだけを見ていた時には、どちらなのかなぁ、後者だとしたら気の毒になぁ、
でもそれが判ってしまったのなら何故自らデザインを取り下げる、という行動に移らないのかな、などと思っておりましたが、

公的な会議に使用する資料に他の人のブログから写真をそのまま転用していた、
しかも無断で、ということになると、やはり、デザインに関しても同じようなことをしてしまったのだろうと、そう感じてしまいます。

この方にとって、何かを作り出すという時に、他の人の創作物を拝借してそれをちょっと加工して自分のものとして出してしまう、
そういう方法が当たり前だったのだろうな、とどうしても思えてしまう。

そうだとしたら、クリエイターとして何と勿体無いことを。なんと気の毒な方なのかと感じます。

何かの課題に対して、自分の全てを賭けて新しいものを作り出そうとするのは苦しいものですが、同時にとてもわくわくすること。
密林へ分け入るようにして自分の形を探りに探って最後に出来てきたもの。
他の人の作品と比べて見劣りがしたり洗練されていなかったりしたとしても、それが自分の作品というもので、その時点で最も価値のあるもの。
それを世に問うて受け入れられなかったとしても、また精進すればいい、と納得することが出来るでしょう。

そういう、山に挑戦して自らの力で乗り越えて自分の底力を蓄えていく機会を、自ら放棄してしまっていたとしたら、ほんとうに勿体無いことです。
売れっ子の作家になったがために忙しすぎてそうなってしまっていたとしたら、更に気の毒で勿体無い。

クリエイターがものを作るときに最も必要な姿勢について、私が学生の時にプロダクトデザインの先生に頂いたのはこんな言葉でした。


君たちがこれから世の中でものを作って発表する仕事をすることになったら、
世間に受け入れられるものを作りたいと思うだろう。

けれども他の人の作品を見たり流行を追いかけたりするのは最小限にしておけ。
それよりも、自分の足元を深く深く掘り下げろ。

ずっとずっと深く掘り下げたところに、ほんものの普遍に通じる大海が広がっている。
そこに到達できたら、ほんとうの意味で世間に受け入れられる自分のものを作り出せるようになる。


このままの言葉ではなかったと思いますが、おおむねこんな内容でした。
当時の私はデザイナーを目指していたわけではなく、陶芸を専攻していたものの、ものづくりの方向に進む自信もなく、大学を卒業したら勤め人になって人生を全うするのだろうというつもりで生きていました。

それでもこの言葉は心の深いところに染み入っていて、ものを作る場面に限らず人生全般にとって、数十年たった今も支えになり続けています。

自分の立っているところにしか、答えはない。
井の中の蛙や独りよがりになってしまっては、もちろんいけないのですが、
他を見すぎて自分をないがしろにしてしまっては元も子もない。

陶芸家の富本憲吉の言葉にも「模様から模様を造るべからず」とあります。
伝統的な文様を模倣するのではなく、自分の手と目で自然と対話して描いてデザインを生み出す。それが、ものづくりの喜び。

私は自分の足元を掘りさげ続けたいと思います。