庭の花に思うこと

床の間の花

毎年この季節になると庭に生い茂ってくる草との戦いです。

「雑草という草はない。それぞれに名前がある」とは

植物図鑑などで御馴染みの方、牧野富太郎の言葉ですが

そう仰られても、庭に生い茂って困る草には困るんです、

と言いながらざくざくと容赦なく抜いて行きます(笑)

抜いてしまう草の中には、この床の間に飾られるドクダミのようなものもあります。

ドクダミは、抜いてもそのまま捨てはしません。

葉を取って乾燥させて、お茶にしたり、化粧水にしたりします。

花もとても可愛らしい。

名前に「毒」とついていて、更になんとも独特の香りを放っていて、

生命力が強くて何処でも生えるというので、あまり大切にされていない雰囲気の植物ですが、

毒を抑えるところからこの名前がついたという事ですし、誠にありがたい存在なのです。

もし、この「ドクダミ」という名前を知らなかったら、

あるいは名前がない世界でこの植物に出会ったら、

人はどんな反応を示すのだろう、と思います。

どの植物でも動物でも自然現象でも、名前がない時というのはあったわけです。

名前をつけて、あれはこういう性質を持っているもの、

という情報をセットにして覚えておけば、

必要な時にとりだせる。

名前は誠に便利なものなのです。

でももし、名前なしで、事前情報なしで、その植物なり何なりに出会ったとしたら、

自分はどう感じるのか。

その時に感じる事こそは、

描いたり表現したりしたいものなのではないのか。

柳宗悦の「今見ヨイツ見ルモ」にも通じるような気もします。

自分の感覚を研ぎ澄ませておきたいと思います。